「Bodies On The Matter」
都市でくすぶらされる身体と彼・彼女たちが怒るべき理由
狩野愛
西荻にあるTOMO都市美術館で中島りか「Bodies On The Matter」を開催している。
その中心は「都市を舞台とした女性の身体」を主題に、中島自身がヨガを制作し、鑑賞者が1人用の個室空間ヨガルームでイヤホンの音声を聴きながらヨガをするという参加型の作品である。
展示会場にはインドっぽいお香が焚かれており布で間仕切りされた薄暗い個室がある。イヤフォンをして中に入ると、中心をくり抜かれて鏡が入れられた赤いヨガマットがあった。女性器をイメージしたそのマットを見て、思わず服を脱いで自分の身体を確認するなどのプロセスでもあるのだろうかと勘ぐったが、そんなことはなかった。中島がこれまで日常的にヨガに親しんできたというだけあって、呼吸法やポーズが基本に沿ったものであることが分かる。終わった後はリラックスして肩こりも少し楽になり気持ち良い感覚だった。
中島が《E-Kali Yoga》と名付けたこのヨガは、憎悪の対象をイメージして破壊することで自分自身の身体を取り戻すという心のケアに重点が置かれている。しかし中島がこのヨガが、あくまでヨガマットというセーフティスペースでのみ得られる解放であり、その外部ででは感じることができない安心感であることを中島は問題提議したかったという。実際、ヨガの最後にはヨガにおいて最も重要視されている「シャバーサナ(死者のポーズ)」をするのだが、「安全な時間はこれで終わり」という死も意味するのだろうか。
中島のステートメントには、「私が抱く都市への恨み。その思考の一つの理由と言えるのは、生まれ持った“女性の身体”に由来するのではないか」とある。この作品を制作した背景に、女性専用車両にまつわる個人的な経験があったという。痴漢がなければ不要な存在だが、現実にそのようなセーフティスペースを設けなければ対応できない社会的な措置としての女性専用車両に、中島はヨガマットの上だけで体感できる安心感を重ねた。日本ではヨガ愛好者は女性が大半を占めるというが、日頃のストレスのガス抜きに過ぎず、社会全体のルールや仕組みは変わらないのだ。
自分の生まれ持った身体と社会的性別によって、社会が求めることや眼差しは変わる。“女性として”社会で活躍することや再生産を期待されることもあれば、性的対象として搾取されることに苦しむ時期もある。逆に年齢を重ねれば、スザンヌ・レイシーが《クリスタル・キルト》(1987)そのような期待すらされずに不可視化されることもある。三連の写真作品《Practice of savasana》は、人生を通して女性が対峙する身体と社会の歪みから生じる問題を主題としている。とりわけ都市で生活していると、一見ジェンダーフリーが進展しているように見えるが、そんなに単純ではない。職業、年代、家族、身体など個人の状況によって無数の格差があり、簡単に共感や連帯ができない個人化したモヤモヤがあるはずだ。
せめて都市に生きる一人一人が押し込められた感情の存在に気づき、それを怒りとして社会や誰かに向けて発露する権利があることに気づくこと、そのような祈りに通ずるスピリチュアリズムを感じられる展示だった。